2009年9月4日金曜日

「官僚との死闘700日」を読む

「官僚との死闘700日」表紙これも書評に載っていたので借りて読む。
嘘は書いていないだろうし、たぶん誇張も無い、とは思うが読んでみての感想は感心ばかりではない。今まで言われてきたように官僚の抵抗は「さもあらん」と思うが、自民党政権がそれほど必死になって「改革」しようとしていたのか少々?ではある。著者がかなりの関係者であることを思うとかなり身びいきの感もするのだがどうだろうか。
時間軸が行ったり来たりでなかなか事態を把握するのが難しかったことを割り引けば、読み物としてはなかなか面白かったと言える。

それよりもあとになって暴露(この本を決して暴露本といっているわけではないけど)のような形で出すのではなく、なぜこうしたことをその当時の紙面でもっともっと書かなかったのか、という思いのほうが強い。特に著者は「論説委員」という重責にあるのだから...本でもあとのほうでこのことに若干触れてはいるが、なんとなく「免罪符」みたいな形で論及しているような感じで、自分としては「何を今さら」という感想にしか過ぎない。

それに「官邸対官僚」という形での抗争だが、素人としてごく単純に思うのは、「首相はなぜ自分の方針に沿った閣僚(あるいは部下)を選ばない(選べない)のか」よくわからない。加えて自分の方針に反した閣僚(官僚も)をなぜ首に出来ないのか、理解に苦しむ。政治もパワーゲームであることは解るが、それにしても...
まあ大臣が持っているはずの人事権が実際はそうではなかった、というのは小池防衛相の時に明らかになって、またそれが「おかしい」と言わない(言えない)マスメディア、あるいは社会...だったのだが。

もうひとつ著者は道州制の推進者と公言しているが、自分としては道州制にするとなぜ中央主権を排除できるか、の道筋がわからない。ずっと疑問だったのだが彼の主張を読んでも疑問のままだ。
小さい組織でできないことがなぜ組織が大きくなるとできるようになるのか、このあたりの疑問が解消されない。もちろん規模の問題はあるだろう。大きさ組織であれば大きな予算で大きな事業が行える可能性ができる。しかしそのためだけに道州制を、というのもおかしな話だ。
組織が大きくなれば当然小回りが利かなくなるし、細かいところに目が届かなくなる。一住民とすればそちらの弊害のほうがずっと大きいと思うのだが。
それに予算のことで言えば今のままでも(すでに清水の名前も消えてしまったが)近隣自治体とJV(まあ共同事業ということですね)を組んでいろいろやれることもできると思うけど、必要なことなら。やらない、やれないのは単に役人の現状維持意識や縦割り行政の弊害に立ち向かっていけないだけなんだ、と自分は思うが。

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